福田 保 師範について

武産浦帆道場は合気道を修練するの道場です。

合気道は、開祖・植芝盛平翁(1883~1969)が日本伝統武術の奥義を究め、

さらに厳しい精神的修行を経て創始した現代武道です。

開祖・植芝盛平翁逝去の後、故植芝吉祥丸(1921~1999)氏が道主を継承して

一般にも門戸を開放し世界に広げ、現在、植芝守央氏が道主が継承しております。

合気道は相手といたずらに強弱を競いません。

入身と転換の体捌きと呼吸力から生まれる技によって、お互いに切磋琢磨し合って

稽古を積み重ね、心身の錬成を図るのを目的としています。

合気道は他人と優劣を競うことをしないため、試合や競技を行いません。

地位や権力やイデオロギーや宗教の違っても道場では和をもって、

争わぬ心で、自然に逆らわず、無抵抗主義に徹する動きを反復練習することで

共に鍛え上げていきます。

試合をすることが禁じられているのは、試合をすることがあまりにも危険であるためであります。稽古では危険な技も伝承していきます。

規則を設け、危険と思われる技を除外すれば、あらゆる動きに制約を加えず

天地自然と一体になるという開祖の主旨を体得することができなくなってしまいます。


武産浦帆道場は植芝盛平開祖の直弟子福田保八段が指導しております。

福田八段は同じ職場の先輩である故斉藤守弘師範に誘われ、

昭和23年に岩間の茨城道場に入門。

開祖逝去まで開祖の岩間の合気道を20年修練しました。

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福田先生は回想します。

「大先生(開祖)は間違ってたとしてもそれはダメだと言わないんだ。

話しても紀州弁だから、茨城の田舎の俺らにはよくわからなくてね。

自分なりにこうかな?ああかな?と考えて稽古した。

先輩もみんなギシギシやるし、稽古は厳しかったですよ。

大先生と二人きりの時もあってな。斉藤先生が

“たもっちゃん、俺は後から行くから、先に道場に行ってて” 

ってな。それで、来ないんだよ。

モーちゃんは(斉藤先生)時々サボっちゃうんだ。

そうなると大先生と二人になっちゃう。

そういう時、大先生はいつも座り技だから、

板の間の道場に畳を二枚敷くんだ。

戦争も終わったばっかりで、畳は貴重だったからいつもは道場の端に積んであるんだ。そこから二枚だけ引っ張ってきてな。

大先生と交代で技をやりましたよ。今考えると貴重な経験だった。

大先生も俺に技をかけさせてくれるけど、最後の固めまではやらせてくれなかったな。


吉祥丸さん(二代目道主)も岩間にいたから稽古したよ。

ギシギシ基本の稽古をやりましたよ。

俺は体が丈夫だったし、痛いとか泣き言は言わなかったから

“おい福田くん、やりましょう!”と指名されてよく稽古したね。

吉祥丸さんは強かったですよ。

吉祥丸さんも岩間にいるときは固い稽古だったな。

塩田剛三さんのところにも遊びに行ったね。

斉藤先生との東京本部での日曜稽古の帰りに

“ちょっと、塩田先輩のとこ(養神館)に寄ってくべぇ” 

ってたまに遊びに行きましたよ。

岩間には藤平光一さんや望月稔さんや、強い先輩がたくさんいたよ。

吉祥丸さんは東京に戻って、合気道を世に広めるために

大先生と稽古してた頃の岩間でのやり方を工夫してああいうふうにしたけど・・・

でも、あれだから合気道は老若男女ができるものとして世界に広まったんたんだ。

岩間スタイルが良いとか本部スタイルが良いとか、

そんなこと言ってる人がいるのは

知ってるけど、どちらが優れてるかという議論はあまり意味がない。

ようは、技が極まれば良いんですよ。大先生も

“つるぎ技筆や口にはつくされず言ぶれせずに悟り行へ”

って言ってるしな。

実際にさ、相対して何もできなかったらダメでしょうよ。

基本はこうだの、スタイルがどうの、段位が高いのどうのって言ってもしょうがない。

だから俺は大先生に習った基本を、どうすれば皆さんに

正確にスムーズに伝えられるのかを今も考えて教えていますよ。

90歳近くなってきたけど・・・・こんな歳までできると思って無かったですよ。

いまだにもっとうまくならねえかなぁと思って勉強してますよ。」

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今年(2018年)で合気道70年、開祖直伝の合気道を稽古生全員、

一人一人手をとって、常に初心者を中心に伝え続けています。

体術の他に、合気剣や合気杖の稽古もしております。

大人から小学生の子供、老若男女、皆楽しく稽古しております。

見学から、体験から始めてみませんか。